掩体壕@読谷村指定文化財史跡
朝夕風が涼しく、すっかり秋めいている沖縄。
七海が暮らす恩納村のすぐ南隣の
読谷村(よみたんそん)。
2014年1月1日に日本一人口の多い村になります。
夕方、生まれも育ちも読谷村という新垣さんに、
読谷の戦跡を教えて頂きました。
「旧日本軍による沖縄北飛行場(読谷山飛行場)建設に伴い、
1944年(昭和19)に軍用機を敵の攻撃から保護する施設として建設されました。」
~ 掩体壕(えんたいごう) 読谷村指定文化財 史跡
詳細(読谷村役場HP)
→
http://www.vill.yomitan.okinawa.jp/sonsi/senseki/map/guide/guide19.html
お尋ねしてもよいものか・・・
少し悩みましたが、会話の流れで、
新垣さんに当時のことを聞いてみました。
戦中、新垣さんは赤ちゃんだったそうで、
ご本人は戦争当時の記憶はないそうですが、
成長につれて、戦争のことは、いろいろと聞かされたそうです。
そんな新垣さんがつぶやいた言葉が印象的でした。
「当時のことを、
石より多い爆弾。
トンボより多い戦闘機。
そんな風に聞いたよ」
石より多い爆弾。
トンボより多い戦闘機。
思わず、聞き返してしまいました。
石より多い爆弾。
トンボより多い戦闘機。
すごい表現です。
七海のこころに深く、刻み込まれました。
新垣さんは、コチラの読谷村陸上競技場を七海に教えたくて案内してくださったのですが、
すぐ近くに掩体壕があったので、合わせて案内して下さいました。
できたばかりのようで、すごくキレイで立派!
たまたま、戦争のことばかりになってしまいますが、
今日、心に残った言葉が、もうひとつあります。
死するともなほ死するとも我が魂よ永久にとどまり御国まもらせ
「桜花」特別攻撃隊・緒方襄
みなさまに琉球弧のすべての神々のご加護がありますように☆
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